ワインの基礎知識その5(歴史とか)
今回は文字だけですw
色々画像を貼りたいのですが、著作権の問題とかがあるので文字だけになりましたw
長文ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。
今回も宣伝する商品が無いので、下に書いたセカンドワインとカントメルルでも貼っておきます。一応10年位物しか貼っていないので、そのまま飲んでも美味しいと思います(保証はしません)
これで買う人がいるとは思えませんが・・・。
その2で書きましたが「神の雫」を読んでいることは読んでいます。
ただ以下の理由でその内容をこのブログに書くことは殆どありません。
a.エンターテイメント色が強すぎて余り参考にならない
b.その割にある程度ワインの知識がないと理解できない
例えば1巻の最初に主人公の神咲がワインボトルとデキャンタ容器を1m位離した長距離デキャンタを行い、まだ硬いワインを一気に花開かせるシーンから始まります。
好奇心で読んだ人は先ず「デキャンタって何?」と言うところから始まると思います。
また、長距離デキャンタですがほぼ曲芸と言って良いでしょう。
ワインを空気に触れさせるだけなら、デキャンタグラスを2つ用意して、それらを使って2回とか3回通常のデキャンタを行えば良いだけの話です。
そして若手有名ワイン評論家の遠峯は上質なワインを飲むと
「お・・おお・・」位しかいいません。何がそのワインの魅力なのかサッパリわかりません。
そして急にフランスのボルドー地域の1級5大ワインが出てきたりします。
普通の人は多分知りません。
5大ボルドーはラフィット、マルゴー、ラトゥール、オー・ブリオン、ムートンの5種類です。値段はヴィンテージ、ブドウの出来た年の品質などにもよりますが大体一本数万~10万円位です。
これとは別格にペトリュスとル・パンいうのがあります。こちらは5大ボルドーよりかなり高いです。
ボルドーにはワインの格付けが1~5級まであって1855年にナポレオン三世が当時の流通価格で決めたものです。格付けが150年以上前なので当時は低い級でも今はそれより美味しいワインの確率は十分あり得ます。
1級は元々4種類だったのですが、苦労が実ってムートンと言うワインはは1973年に1級に昇格しました。因みに誰が1級に昇格させたかは知りませんw
ムートンはラベルに有名な画家が描いた絵を印刷することが有名で、その昇格した1973年の物はピカソが描いています。日本人も描いたことがあります。
(因みに報酬はムートン150本だそうですw)
しかし今でも5大ボルドーワインは羨望の的になっていることに変わりはありません。
その時決めた級を変えるのは現代においても非常に困難ですが、もう一つカントメルルというワインがパリ万博の際の抗議を認められて、5級に入りました。
150年たっても級が変わったのはその2種類だけなんです。
また有名な多くのワインにはセカンドワインという物が存在します。
色々調べたのですが、どうも定義がハッキリしません。
「何らかの理由でメインになれなかったブドウで造ったワイン」みたいな感じです。
セカンドワインは大体1万円台と、頑張れば手が届く値段です。
マルゴーの2014年のセカンドワインを買って、現在の2017年なので飲んでみたら味が硬かったです。「セカンドワインはファーストより熟成期間が短くても美味しく飲める」と記憶していたのですが、もっと熟成が必要だったようです。
デキャンタすればよかったのですが、あいにくその時デキャンタで使える容器がありませんでした。
また、ヨーロッパのブドウの木に「フィロキセラ事件」と言うのも起こっています。
フィロキセラはワインの木をの根っこを食べる小さな虫なのですが、北アメリカのブドウの木は耐性があった為被害は起こりませんでしたが、国際交流が進み1863年に初めてヨーロッパで存在が確認されました。そして耐性の無いヨーロッパのブドウの木にどんどん被害が拡大して行きました。
そこで、根っこを主に食べるフィロキセラのブドウの木に北アメリカのブドウの木を接木して、何とか難を逃れました。
簡単に言うとフィロキセラが確認された1863年以降のヨーロッパのブドウの木は純粋にヨーロッパの木と言えないことです。
因みに確認される前のプレフィロキセラの時代に作られたワインも現存しますが、高い上に年数が経ちすぎて普通のワインの味はしません。ほとんど水です。
話が急に変わるのですが、ワインの歴史は数千年と長いです。
確かイランが発祥だったと思います(間違えていたらすみません)
キリストが最初に起こした奇跡も水をブドウ酒に変えたことだと言われています。
日本でさえも縄文時代に野ブドウを使ってぶどう酒を作っており、そのための土器も発見されています。神話のヤマタノオロチを酔わせたのもぶどう酒だと言われています。
日本酒が出来るようになったのは日本に稲作文化が入って来てからです。
知っている方は知っていると思いますが、日本酒を作るのには大変な工程が必要です。
いったい誰が「こうすれば米が酒になる」と考えたのか不思議です。
極端な話、ワインは樽か何かにワインの果汁を入れて寝かせれば出来ます。
製法が単純な分、美味しいワインを作るのが難しいとも言えます。
日本で近代的なワインが作られるようになったのは幕末~明治初期です。
勝海舟が外国から持ち帰ったと言われています。
また、ワインの産地はオールドワールド、とニューワールドに分かれます
簡単に言うとオールドはヨーロッパで作られたもの。ニューはそれ以外の国です。
私は殆どヨーロッパのワインしか飲まないのですが、今一番注目しているワインの産地は南アフリカ(南ア)です。
まともにワインを作られるようになったのが88年以降なので歴史が浅く、その分ポテンシャルを持っていると思うからです。
88年以前の南アはブドウ畑に黒人労働者付きで売られていました。しかも給料はワインのみです。
生活するにはワインを売るか、飲むしかなく。アルコール依存症の労働者も沢山発生しました。(これをドップシステムと言います)
そして88年にある白人のオーナーが現れます。
その人はドップシステムを止め、ちゃんと賃金を払い黒人労働者のモチベーションを上げました。
その努力が実りワインは3年連続で金賞を受賞しました。
そして畑の一部を黒人に分け与え、そこで自由にワインを作れるようにしました。
黒人たちはそこで新しい「New Beginning」(新しい始まり)というワインを作るようになりました。
今までのドップシステム、人種差別から解放されたという意味も込められていると思います。
また、ヨーロッパの天候、土壌(テロワール)以外では美味しいワインは作れないと思われていた時、1976年パリスの審判という事件(?)が発生しました。
フランスが当時ニューワールドで作ったワインが認められず、カリフォリニアワインを応援する意味でフランスとカリフォリニアの何種類かのワインのブラインドテストで点数を付けました。
ところがどっこい多く勝ったのはカリフォリニアでした。
この時一番怒ったのはムートンだと言われています。「こっちは一級になるのに100年以上かかったんだぞ!」とw
このイベントをきかっけきに「ヨーロッパ以外でも美味しいワインが作れる」とニューワールドの人々を勇気づけました。
今では、南アは勿論、チリ、カリフォリニア、オーストラリア等でヨーロッパに負けないようなワイン造りが行われています。
有名どころで言うと、カリフォリニアのオーパスワン、オートラリアのグランジなどが挙げられます。2つとも昔は安かったんですが、今ではすっかり高くなってしまいましたw
しかし品質が安定してないと思っているのか、単に頑固なのかわかりませんが、いまだにフランス以外のワインしか出さないワインバーやレストランも日本に多く存在します。
今はどうだかわかりませんが、フランスに南アのワインは殆ど輸出されていなかったようです。
私もフランスワインの話ばかりしておりますが、これはワインの知識入門用に適しているからなんですね。
赤、白、ロゼ、シャンパンを分け隔てなく作っており、それらを作るブドウの種類も多いいし、級付けもある。
勉強にはうってつけです。
イタリアワインでも格付けは行われていますが、そんなの気にせずに国民の気質上「俺の作ったワインが最高!」とばかり言いますw
それでは、また